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法学部とのかけ橋BRIDGE TO THE FACULITY OF LAW
法学部とのかけ橋
法学部長・法学研究科長からのごあいさつ
2020年00月00日
2023年3月 卒業生・修了生の門出を祝して 法学部長・法学研究科長2023年03月23日
卒業生・修了生の門出を祝して
法学部長・法学研究科長 力久 昌幸
日頃より政法会の皆様には、法学部・法学研究科に対して多大なご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
3月20日に開催された2022年度秋学期卒業式・学位授与式におきまして、法学部からは800名の卒業生(そのうち早期卒業者は35名)が、そして法学研究科からは 博士課程(前期課程)において54名、博士課程(後期課程)において3名の修了生が新たな門出を迎えることになりました。なお、早期卒業者のうち13名は法曹養成プログラム(法曹コース)の修了者で、同志社大学の司法研究科をはじめとする法科大学院へ進学して法曹への道を歩むことになります。
コロナ禍により2年ほど、卒業式・学位授与式は中止(2019年度)あるいは京田辺のデイヴィス記念館での開催(2020年度)となりましたが、2022年度は2021年度と同様に、卒業生・修了生の門出を祝福するような晴天にも恵まれて、今出川の栄光館で行われました。学位記についても、コロナ禍前と同じく、ゼミなどの指導教員から直接、手渡すことができました。ただ、残念ながら、政法会による成績優秀者表彰式やゼミごとに行われる学位記授与の場で政法会の方からお祝いの言葉をいただくことは、2022年度も実施できませんでした。とはいえ、少しずつではありますが、卒業式・学位授与式の光景はコロナ禍以前に戻りつつあるようです。
さて、卒業生・修了生のみなさん、法学部卒業あるいは法学研究科修了、おめでとうございます。2020年初頭からのコロナ禍が長引く中で、みなさんが大学生活のさまざまな制約を乗り越えて、見事に卒業あるいは修了されたことを、心よりお祝い申し上げます。みなさんが大学生活に区切りをつけて、社会の中に旅立って行くめでたい機会に、私からみなさんに一つお伝えしたいことがあります。
突然で恐縮ですが、みなさんは「生きる」ことの意味について考えたことがありますか。日々の生活に追われる私たちは、「生きるとは」という人生の本質的な問いについて考える余裕は、あまりないのかもしれません。しかし、「生きる」ことの意味について、みなさん自身が答えを見つけるうえで、ある映画が手がかりになると思います。
2023年春、‘Living(生きる)’というタイトルのイギリス映画が公開されました。この映画は、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロが脚本を担当したのですが、世界的に有名な黒澤明監督の「生きる」という映画をリメイクしたものです。イシグロの‘Living’は、設定を日本からイギリスに変えただけで、基本的な物語は黒澤監督の「生きる」を踏襲していますが、そのあらすじは次の通りです。がんになって余命わずか、と診断された公務員の主人公が、与えられた仕事を片づけるだけだった生き方を見つめ直し、残りの人生を地域住民が求めていた小さな公園を作ることにかける、という物語です。
イシグロの‘Living’と黒澤監督の「生きる」には、心に残るシーンがいくつもあります。私が好きなシーンは、主人公が苦労して作った小さな公園のブランコに乗って歌うシーンです。若い頃に耳にした歌を口ずさみながら、主人公はささやかなものではあっても地域住民のために尽くした自分の人生に満足して死を迎えるのです。
映画の見方にはさまざまあると思いますので、一つの考えとして聞いてほしいのですが、充実した人生というものは自分だけが満足するような自己本位の生き方ではなく、むしろ自分以外の人々、たとえば家族、友人、あるいは見知らぬ他人にさえも、手を差し伸べる生き方から得られるように思います。人は決して自分一人で生きているのではなく、普段は意識しなくても、さまざまなところで自分以外の人々の助けを借りて生きているのではないでしょうか。
カズオ・イシグロは、コロナ禍の影響で人々の考えが変わったと感じているようです。イシグロは、コロナ禍で人々は立ち止まり、自分がしていることと自分の人生がどうあるべきか考えるようになったと言っています。私たちの人生は無限に続くわけではありません。私たちに与えられた限りある時間の中で、どうすれば意味のある人生を送ることができるのか、ということが問われています。
なお、人生の期待と不安をテーマとして、辛辣かもしれませんが生きることの意味を考えさせられる小説に、イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティの「タタール人の砂漠」があります。国境地帯の砦に配属された青年将校が、いつ来襲するかわからない敵を待ちながら、期待と不安の間を揺れ動きつつも、単調な軍隊生活で無為な日々を重ねて一生を終えるという話です。‘Living’と「生きる」の主人公は、がんになって余命宣告を受けたことで生き方を見つめ直すのですが、「タタール人の砂漠」の主人公は、戦場で英雄的な活躍をするという夢にとらわれ続けたことで、人生を浪費してしまいました。二人の主人公を並べると、人生を変える何かを待ち続ける受け身の生き方をした後者の主人公は愚かに見えるかもしれません。しかし、前者の主人公も余命宣告という大きな衝撃を受けて、初めて他者に寄り添う生き方に意義を見いだしたわけですから、自ら進んで生き方を変えることのできる人間は決して多くはないと言うべきなのでしょうね。
人生は邯鄲の夢ではありませんが、後から振り返ってみるときわめてはかないものだと思います。これからみなさんは、法学部や法学研究科で学んだ法学や政治学の知識と能力をもとに、さまざまな分野で活躍することになると思いますが、その際、生きることの意味について考えることにより、人生を豊かなものにしてほしいと願っています。
以上、簡単ではありますが、改めて卒業生・修了生のみなさんの門出を心よりお祝い申し上げて、私からのご挨拶とさせていただきます。