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杉尾嘉昭君を送る2025年07月14日

2025年6月6日() 37クラブの仲間、杉尾嘉昭君が逝去しました。

6月9日の葬儀では、37クラブとして次の弔文を捧げてご冥福を祈りました。

友を失うことはつらいことです。

杉尾君と初めて会ったのは同志社大学へ入学して間もないころ、百々静子教授の英語のクラスでした。

就職して職場は違いましたが、卒業してから63年間、

リタイヤ後は、ともに政法会の委員長・常務委員を務めて、政法会の発展のために、それぞれの立場で尽力してきました。

八十路になり友を失うことがこんなに辛いことかと身に染みています。  

                           

杉尾嘉昭君と最後に一同で会したのは、昨年十一月の我々同志社大学政法会37クラブ総会の時でございました。 

その時、貴兄は大学同期の仲間と是非歓談したいとの一心から、無理を押して車いすでの出席でございました。

ときには仲間との電話による近況を互いに知らせあっていた様子でしたが、まさか逝去につながるご重篤とは知らず、お見舞いにも上が

らぬうちの悲報に、悔やんでも悔やみきれぬ思いでございます。

杉尾嘉昭君のご冥福をお祈り申し上げます。 

 

われわれ同志社大学政法会37クラブは同志社大学法学部を昭和37年に卒業した同期の仲間を会員として設立し、毎年十一月の母

校のホームカミングデーの日の総会には一同で会し、仲間の近況を確かめ合う機会としており、杉尾嘉昭君は幹事として毎回出席のう

え、務めを果たしてくれておりました。

その仲間が一人去ってゆく、この悲しみは同期の仲間で共有するところでございます。

思い起こしますに、昭和三十三年四月に母校の門をくぐり、それからともに勉学に勤しむ四年間でございました。

杉尾嘉昭君は谷田貝教授の民法ゼミに所属し、専ら私法の分野を勉強しておりました。

その半ばでは60年安保の時代があり、杉尾嘉昭君と共に「アンポ、ハンタイ!」と母校から出発したデモは、河原町通りで立命館大学、

京都大学の仲間と合流して円山公園まで「ワッショイ、ワッショイ、岸を倒せ!」と四条通りを行進したことも何度かありました。

卒業後は、杉尾嘉昭君は三洋電機に就職し、ともに企業戦士として、企業の繁栄に勤しみ、一時はわが国のGDPを世界第2位にまで押

し上げたのは、我々の日夜を問わぬ働きが、いささかでも貢献したものと一同で自負していたところです。 

杉尾嘉昭君を送る 

 令和七年六月九日    

同志社大学政法会37クラブ幹事一同