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良心教育における「良心」とは2023年09月14日

同志社の在校生、教職員、そして卒業生は、良心教育における「良心」をどのように思い、行動しているのでしょうか。
良心の一般的な意味は清く美しい心や善悪をわきまえる心ということですが、新島先生が主張されている「良心」は異質だと思いますので、考える一助として、代表的なキリスト教主義大学のスクールモットーを列記します。

〇立教大学:真理を探究し、世界、社会、隣人のために
〇国際基督教大学:神と人とに奉仕する有為の人材を
〇上智大学:他者のために、他者とともに
〇関西学院大学:奉仕のための練達

このようにキリスト教主義大学は社会のために奉仕するという特別のミッションがあり、決して権威におもねることなく、自分自身の考えを見つけて、社会のために力を尽くすという役割を担っております。
新島先生は社会改良の基は智徳併行の教育(新島襄365:1月10日)と言われ、知識と倫理が共存しなければ、社会は良くならないと主張されています。
その中で、『人への配慮や社会に対して負っている責任を考える徳の力』がなければ社会は良くならないとも言われています。
私はこの『』内の言葉こそ、新島先生が希求された良心の真意が含まれており、非常にわかりやすい言葉ではないかと考えております。

私学固有の建学精神は、平易な言葉でも、抽象的でわかりにくく、いろいろな解釈ができるようでは意味を成さず、具体的な意識力や行動力につながりません。
因みに関西学院大学は社会学部の知識社会学という授業で、スクールモットーである「奉仕のための練達」について論じ合い、一冊の本にしています。
ユニークな試みであり、傾聴に値する事例だと思います。

私はこの良心の意味について、同志社大学が全学的な論議を行い、万人にわかり易く、行動指針となるような良心の洞察作業が創立150周年を迎えるにあたり、重要だと考えております。
そして、同志社で学んだことが誇りとなり、深い母校愛とともに、新島先生の志が継承されることを願っています。

※「新島襄365」(編集・発行 同志社大学良心学研究センター)は私のバイブルです。
                                     杉江 廣(昭和47年卒)