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宮井ゼミクラブ お知らせとご報告BRANCH REPORT
クラブの目的
お知らせとご報告
奈良散策報告
2024年5月19日~20日奈良散策の旅
ゴールデンウィークが過ぎ、混雑もない初夏の橿原・明日香を、宮井ゼミの同窓の方々で、散策してきました。
雨も若干降ってはきましたが、若葉にしたたり、鮮やかな緑が眼に優しいひとときでした。
近鉄飛鳥駅で待ち合わせして、そぞろ歩いて、「高松塚古墳」に行きました。
ちょうど年に2度ほどしか公開されることのない「国宝高松塚古墳壁画修理作業室」に入ることができ、あの飛鳥美人の壁画を見学しました。
続いて「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」に行きました。
ここも素晴らしい施設で天文図の再現や修復の様子などの展示を見学した後、玄武、白虎、青龍、朱雀の四神の内、今回は「白虎と青龍」を見学いたしました。
高松塚古墳もキトラ古墳のどちらも事前応募という狭き門を通過し、1300年前の本物を目の当たりにすることができて、感激しました。
そして、次には明日香村の中心的な存在であります「石舞台古墳」。
これも蘇我馬子の墓ではないかと言われていて、その巨大さに、当時の蘇我氏の大きな権力を垣間見ることができました。
ちょうどお昼時でしたので石舞台古墳を間近に見渡せる地元のレストランで大和の食材を取り入れたランチを各々いただき、飛鳥寺に行きました。
本尊である飛鳥大仏は、1400年間、ずっとこの地におられるといわれていて、その伽藍の配置が大陸的で、おおぶりな感じが京都のお寺とは違った趣が感じられました。
その後、三々五々、今夜のお宿「ゲストハウスはじまり」に向かいました。
このゲストハウスは、私の息子が2019年10月より運営しているゲストハウスで、普段は国籍、年齢、境遇や価値観の違う方々が交流できる宿ですが、今回は一棟貸し切りとして利用しました。
飛鳥散策組、その他、東京から、大阪からとメンバーが夜に集い、散策の打ち上げと、ともに交流を深めました。
以下に息子の感想文を添えておきます。
法律学科 1980年 山本恵子
私も同志社の政治学科卒で、同窓ということもあって、会に参加させていただきました。
コロナ禍を経て久々に集まられた会では、皆様の近況報告や最近の出来事、そして大学時代の思い出話に花を咲かせながらお酒をすすめ、楽しい会となったようでした。
そのあとも、一棟貸し切りでかつ、後は寝るだけという安心感もおありだったようで、大広間からダイニングスペースに場所を変えて、再びの盛り上がりとなりました。
学生時代に戻ったように無邪気に飲み、少々羽目を外しながらも楽しそうに笑っておられる皆様を拝見し、大学時代に培った絆の深さと尊さを感じました。
改めまして、この度は、当館をご利用いただきありがとうございました。
いつまでも友情を大切に、そして無理のないよう、お体の方ご自愛ください。
政治学科2011年卒 山本麻人
P.S.山本麻人さんの経営する「ゲストハウスはじまり」のHPです
https://guesthouse-hajimari.jp/
宮井ゼミOB・OG会 一年間の活動報告
②2023年12月2日 京都御所参観&寒梅館Willでの懇親会
宮井ゼミOB・OG会としては、2019年11月17日に若王子同志社墓地への墓参以来、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により暫く開催が出来ない状況が続いておりましたが、漸く落ち着いてきたことから、昨年12月2日に4年振りに開催いたしました。
内容としては、京都御苑(御所)の拝観と寒梅館のフレンチレストラン「Will」での懇親会でした。
京都御苑は学生時代に親しんだ思い出の地ではありますが、敷地内にある御所の拝観については、当時は春・秋の2回、期間限定で、しかも事前の予約が必要でした。
2016年の夏より通常公開に切り替わり、予約も不要となり、いつでも無料での拝観が可能となりました。
学生時代には手続き的な煩雑さや期間が限られていたことから、御所の拝観を経験されていない方が意外と多いのではないかと思い、幹事として企画した次第です。
当日は、ガイドさんのご案内で、御所内を約1時間散策しました。
御所の拝観を終えてからは場所を懐かしい今出川キャンパスに隣接した寒梅館のフレンチレストラン「Will」に移し、いつものように遠く新宮から宮井先生の姪御さんである野崎はるみ様をお招きして、25名の参加者を得て、懇親会を行いました。
49年卒で代表幹事である小林完寿さんの開会のご挨拶並びに乾杯の音頭で会の幕が開き、ゲストの野崎様からご挨拶を頂戴し、参加者からは近況等のスピーチがあり、和やかに楽しいひと時を過ごしました。
会の締めとして参加者全員で声高らかにカレッジソングを斉唱し、再会を約しお開きとなりました。
以上
宮井ゼミOB有志による新島襄・同志社所縁の地を旅するシリーズNo.1「肥後・熊本探訪の旅」
角田正衛(昭和53年卒)
宮井ゼミOB・OG有志10名で熊本県内の同志社所縁の地を巡った。
2023年10月1日~2日(一泊二日)。
案内役を務めてくださった地元熊本県在住の村富俊大さん(昭和52年卒)の奥様にも参加していただいた。
一日目は集合場所の熊本駅前のホテルを12時30分に出発。先ずは熊本市内花岡山にある「奉教の碑」に向かった。
明治9年1月30日、熊本洋学校の教師ジェーンズの教えを受けた海老名弾正(後の同志社第8代総長)ら35名の生徒がこの花岡山でキリスト教による救国を志した趣意書に署名し、結盟した。世に言う熊本バンドの誕生である。
熊本洋学校はこの事件により閉校の憂き目に遭い、残された生徒達は創立間もない京都の同志社英学校に転校することになった。
花岡山を後にして向かった先は「徳富記念園」。
ここでは杉谷館長から詳しい説明を受ける機会に恵まれた。
徳富蘇峰は熊本洋学校閉鎖後、官立の東京英語学校(第一高等学校の前身)に入学も2か月程で退学し、京都の同志社英学校に転入学した。
学生騒動に巻き込まれ、卒業目前で中退した蘇峰は、その後帰郷し、明治15年3月、父・一敬と共に大江村の自宅に私塾「大江義塾」を創設した。時に蘇峰19歳の春であった。
明治19年の閉塾まで英学、歴史、政治学、経済学などの講義を通じて青年の啓蒙に努めた。大江義塾に学んだ塾生は、250名にも上ったと言われている。
園内には当時の大江義塾の建物がそのままの形で保存されており、記念館には徳富兄弟関係の遺品や著書などが多数展示されていた。
また、記念園の庭にそびえるカタルパの木は新島襄がアメリカ土産に贈った種子の2世・3世であり、毎年5月中旬には上品な真白い花が咲くという。
次は熊本市街からは少し離れた益城町杉堂の潮井自然公園内にある「四賢婦人記念館」を目指し、曲がりくねった山道を辿った。
四賢婦人記念館は江戸時代後期にこの地に建てられた惣庄屋・矢島家の家屋を復元したものである。
こちらも2016年4月の熊本地震で被災し、修復費用を確保するために広く寄付金を募り、矢島家として元々あった現在地に移転新築されたものである。
葉が秋の色に染まりかけたカタルパの木がここでも静かに私達を迎えてくれた。
四賢婦人とは、徳富蘇峰の母、徳富久子の実家である矢島家の4姉妹のことである。
蘇峰も矢島家で生まれている。
三女の竹崎順子は、明治22年熊本女学校(現熊本フェイス学院高等学校)の舎監となり、明治30年には校長に就任し、多くの人材を世に送り出した。明治38年、81歳の終焉まで校長としてその責務を全うし現在でも校母として尊敬されている。
四女の徳富久子は、横井小楠の高弟で肥後藩政改革の中心人物、徳富一敬の妻となり、徳富蘇峰・蘆花の母として厳格な家庭教育を実践。蘇峰をして「自分が一人前になり、強い信念が持てたのも母の厳しさのおかげ」と言わしめた。
五女の横井つせ子は幕末の思想家横井小楠に嫁ぎ、「夫は天下人である。妻たる自分も出来るだけ学問をして夫の名を辱めることがないように」と励んだ。
六女の楫子は、明治19年に日本基督教婦人矯風会を設立し、初代会頭に就任。元老院への一夫一婦制の建白書提出をはじめとして、婦人参政権・廃娼・禁酒運動等に尽力した。明治23年にはキリスト教系女学院(現東京・女子学院)を創立。初代校長になった。大正10年には88歳でワシントン平和会議への出席を果たし、その功績を讃えられ、米国大統領より記念の花器を贈られた。
館内には矢島家に纏わる品々が所狭しと展示されており、地元のボランティアガイドよる解説に一同耳を傾けた。
一日目の最後の訪問先は肥後藩熊本洋学校の教師館であった「ジェーンズ邸」。
ジェーンズ邸は西南の役においては政府軍本営として使用され、佐賀の七賢人の一人に数えられ、後に枢密顧問官、元老院議長となる佐野常民が征討大総督有栖川宮熾仁親王から博愛社(後の日本赤十字社の前身)の設立許可を受けたことから、日本赤十字発祥の地としても知られている。
ジェーンズ邸は熊本の西洋建築としては最古で、県の重要文化財に指定されていたが、2016年4月の熊本地震で全壊した。熊本市を中心として再建事業がスタート。
同志社大学、同志社校友会熊本県支部も積極的に支援に乗り出し、2023年9月に再建に漕ぎつけたが、以前の姿を知る者にとっては物足りなさを感じているのではないだろうか。
私自身もその一人である。
同志社校友会熊本県支部ではジェーンズ邸再建を記念してオリジナルTシャツ(1枚1,500円)を作成・販売し、その収益金を同志社大学2025募金に寄付することとなった。
宮井ゼミとしても賛意を表し、昨年のOB・OG会、また、今回の熊本旅行を通じて多くのOB・OGの皆さんに協力していただいた。
Tシャツ販売協力にあたっての宮井ゼミ窓口担当者として、この場をお借りして厚く御礼申し上げる次第である。
ジェーンズ邸見学を終えてからは、村富俊大さんご推奨の熊本料理店「仲むら」で夕食の会となった。
とっておきの熊本料理に一同舌鼓を打ちつつ、お互いの近況報告等を語り合い、和気あいあいの楽しいひと時を過ごした。
翌日は朝食後、秋晴れの空の下、名城「熊本城」の見学に出掛けた。
天守閣は2021年に復旧が終了したものの引き続き櫓群の解体復旧・修復工事を行っている最中で、完全復旧にはまだまだ多くの時間を要する見込みとのことである。
参加者一同、復興作業が順調に進み、一日も早く工事が完了することを願い、今回の旅を終えることにした。
今回の旅行は熊本県在住の宮井ゼミOB村富俊大さんご夫妻の入念な下調べがあってこその楽しく有意義な旅であった。お二人には感謝の念に堪えない。
また、同志社校友会の理事で元熊本県支部長の木下智夫先輩(昭和44年商学部卒)にもホテルの手配等、格別のご配慮をいただいた。この場をお借りして謝意を表したい。
熊本城で解散後、松田能明さん(昭和54年卒)と二人でタクシーを飛ばして熊本市郊外の横井小楠記念館「四時軒」に行ってみたが、生憎の定休日で閉まっていた。調査不足が招いた失敗談である。
熊本旅行の少し前、9月11日には徳富蘇峰91歳時の遺髪や手紙が所有者の阪大名誉教授から同志社大に寄贈されたとの報道もあった。
私個人は一足先に前日の9月30日に九州入りしており、集合時間前の午前中の時間を利用して、徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家がある水俣市にも足を延ばした。
しかしながらお目当ての生家も、また、水俣市立蘇峰記念館も修復工事中で、中に入ることは叶わなかった。
今春、共に工事が完了し2024年の5月3日からは再開館したとのことなので、改めて水俣に足を運んでみたい。
以上