宮井ゼミクラブ お知らせとご報告BRANCH REPORT

クラブの目的

お知らせとご報告

校祖新島襄の足跡を辿る旅― 群馬県安中市を訪ねて(1泊2日) ―

  

1. はじめに
同志社の校祖新島襄。その原点の一画を知り、これまで自分の中にあったいくつかの不明点を解き明かせればと、政法会主催の1泊2日の旅行に参加させてもらいました。
宮井ゼミOB・OG会からは自分も含めて7名の有志参加で最大人数のグループでした。
今回の個人的な目的は、新島学園・新島家旧宅・安中教会ならびに新島襄を強力にサポートし続けた湯浅家の醤油醸造所を巡り、新島襄の思想と人生の一端を現地で感じ取りながら以下3点について確かめることでした。

① 何故、安中市? 新島襄とどんな関係があるの?
② 新島襄はどこで勉強してどうやって米国に渡ったの?
③ 同志社のマークをデザインした湯浅氏とも関係ある?

2. 旅程の概要
日程:1泊2日 宿泊:磯部温泉・磯部館
【1日目】
• 東京 →(湘南新宿ライン)→ 高崎
• 高崎 →(信越本線)→ 安中(新幹線で関西から来られた方々と合流)
• 新島学園を訪問
• 磯部温泉「雀のお宿:磯部館」に宿泊
【2日目】
• 新島家旧宅を見学
• 有田屋(資料展示室・醤油醸造所)を訪問
• 安中教会を見学
• 夕方の電車で帰宅

3. 訪問地の記録と所感
【1日目】
3-1. 東京から安中へ
朝、府中市の自宅から新宿経由で湘南新宿ラインの電車で高崎へ。
都市部から徐々に山並みが近づき、上州らしい広い空が見えてくると、旅の始まりを実感。
高崎で信越本線に乗り換えると、偶然宮井ゼミの参加メンバーと一緒になり気持ちが高揚しつつ安中駅に到着。
ここからバス+自家用車で移動、私は角田さんの自家用車に乗せていただきました。

3-2. 新島学園
最初の目的地は新島学園。
新島襄の精神を受け継ぐりっぱな学校で、案内していただいた校内礼拝堂には群馬県随一のパイプオルガンが設置され、その荘厳な佇まいに驚きました。
学園の一日はこの礼拝堂での礼拝から始まるとのことで、先生が我々のために讃美歌を演奏してくださっている間、ここの生徒たちがとても羨ましくなりました。
心が洗われる気持ちになったからです。
学園の創立者である湯浅政次は新島襄から洗礼を受けた湯浅治郎の孫にあたり、次に案内いただいた湯浅記念資料室には新島襄の生い立ちに関する多くの資料や彼が脱国(渡米)した時に切った髪の毛などが、湯浅家についての資料とともに展示されていて新島襄の理念を重んじる姿勢を深く感じました。
図書室で校長先生の説明を受けている間に何人もの生徒が通り過ぎましたが、皆大きな声であいさつしてくれて礼儀正しさの徹底された校風が感じられました。
この資料室の展示物と校長先生や理事長のご説明から①の「何故、安中市?」という問いの答えが見えてきました。
個人的な理解を箇条書きにすると以下3点です。
・新島襄の父親は安中藩の祐筆の職にあり、新島襄は安中藩の江戸屋敷生まれの安中藩士
・新島襄は日本での宣教に従事するために、脱国後10年ぶりに米国から帰国してそのまま安中の家族を訪ね27日間滞在、その間キリスト教を講演して30名に洗礼を授け安中教会が設立された。
洗礼を受けたうちの一人が、以後新島襄を強く支える湯浅治郎だった。
・新島襄は安中出身の有名人で地域の人々から深く尊敬され、その目指した教育の姿が息づいている。

3-3. 磯部温泉「磯部館」
夕方、安中からほど近い磯部温泉へ移動し、老舗旅館「磯部館」に宿泊しました。
旅館の4人部屋に荷物を置くとすぐさま近くの酒屋に直行し、角田さんの誕生日をお祝いするビールや日本酒を購入して戻り、露天風呂の柔らかい温泉につかってゆっくりしたあと、宮井ゼミメンバー4人でお誕生日を祝いました。
そのあと夕食に向かうと御馳走が並べられていて、参加者の自己紹介から始まり、宴会は大いに盛り上がりました。
夕食後に部屋に戻ってからは、新島襄の生涯や当時の出来事に詳しい角田さんから色々教えていただいて、断片的だった理解が繋がり勉強になりました。
次の日の朝食では、鉱泉湯豆腐を美味しくいただくと二日酔いがすっきりして元気に出発しました。

【2日目】
3-4. 新島家旧宅
2日目の最初に訪れたのは、新島襄の家族が住んでいた旧宅です。
葺き屋根の武家住宅は質素ながらも凛とした空気が漂っていて、当時の姿をよく残していました。
ボランティアの方が家の中に展示してある沢山の資料をもとに丁寧に説明をされたので、当時の事が目に浮かんでくるようでした。
新島襄の幼名が「七五三太」(しめた)で、4人姉妹のあとようやく男の子が生まれたので「しめた!」と命名したという説明には笑ってしまいました。
幼少期から学問に秀でていた新島襄を当時の藩主が見出し、蘭学を学ばせたとの説明もあり、私の目的②の「どこで勉強したのか」というのが明らかになりました。
新島襄は他にも才能豊かだったようで、10才の時に描いたという絵のうまさには感心しました。
時が過ぎ、新島襄が脱国後10年ぶりに米国から帰国すると真っ先にこの家の父母姉妹を訪ね、この場所から日本での活動を始めたという説明もあり、旧宅の重要さが良くわかりました。

3-5. 有田屋
続いて訪れた有田屋は190年間天然醸造製法を続けている老舗の醤油醸造所で、江戸期の建築様式が残る大きな建物でした。
当初から、なぜお醤油屋さんに行くのかと思っていましたが、ここの7代目当主の湯浅社長のお話を聞いているとその理由が分かりました。
ここは新島襄から洗礼を受けたあと、強力に活動援助をしてきた湯浅治郎を始めとする湯浅家の本拠地だったのです。
中に資料室があり、そこで社長から湯浅家の系譜について面白い逸話を交えての説明をうかがい、湯浅家と新島襄および同志社との何代にもわたる深い関係が分かってきました。
特に初期同志社の経営面を支えた湯浅治郎の功績が大きかったことを知りました。
湯浅治郎は2度結婚して子供が14人あり、その子らの名前を一郎から順番につけていったという説明には笑い、2番目の奥さんが徳富蘇峰のお姉さんという話では、初期同志社を支えたメンバー同士の付き合いが見えるようで、当時の活動や生活の様子が頭の中に浮かんできました。
この湯浅家の系譜には、湯浅治郎の弟として吉郎の名前があり、どこかで見た名前だと気になり検索したところ、彼こそが同志社マークをデザインした湯浅半月(吉郎)だということがわかり、感動を覚えました。
ここで私の目的③の「同志社マークをデザインした人との関係」が判明して、今回の旅の大きな収穫になりました。
説明をうかがったあと、醤油の仕込み蔵に案内いただき、体中醤油の臭いで一杯になったのは忘れられない思い出になりました。
余談になりますが、あとで旅館の朝食の納豆を食べた我々が醤油の仕込み蔵に入っても大丈夫だったのか心配になりました。
圧倒的な繁殖力をもつ納豆菌は、醤油や日本酒造りに脅威だという話を聞いたことがあったからです。
問題なかったことを祈ります。

3-6. 安中教会
今回の旅の締めくくりは安中教会。
白い外壁が印象的な教会で、新島襄が布教活動の拠点とした場所とのことです。
隣の幼稚園では園児たちが礼拝堂の前庭で元気に遊んでいて、とても明るい感じでした。
礼拝堂に入ると、高いアーチ型の天井としっかりした床が節目のない高級な板で造り込まれていて、堂内に木の温もりと窓からの柔らかな光で厳かな雰囲気を醸し出していました。
外見、内部ともに欧州の教会をそのまま持ってきたかのような瀟洒な建物で、当時相当な財がつぎ込まれたであろうことは疑いなく、湯浅家を始め教会建設に尽力した人々の努力がひしひしと伝わってきました。
教会の説明の中で当時の漢文で綴られた聖書(馬太伝:マタイ伝)を見せていただき、これでキリスト教の信仰を深めていったのかと驚かされました。
新島襄がこの地で最初に洗礼を授けた30人から始まった安中教会が、これ程立派に現代に残っているのは、新島襄がこの地で伝えようとした信仰と教育の理念が今も静かに受け継がれていることに改めて感動を覚えました。

3-7. 帰路へ
安中教会から安中駅へ移動して夕方の列車で安中を後にしました。
高崎駅で関西からのメンバーを見送り、自分は来たときと同じ湘南新宿ラインで帰りました。
車窓から見える山々や平野の田んぼが夕日に染まり、今回の旅のエピソードを思い返しながら静かに旅の余韻に浸りました。

4. まとめ
今回の1泊2日の旅は、新島襄の足跡を辿るだけでなく、彼の思想や生き方を現地で体感する貴重な機会となりました。
安中市には、新島襄が見た当時の景色が多く残り、さらにその教えや教育の理念がそのまま息づいていて、「だから安中訪問だったのだ!」と深く納得しました。
また、彼の勉学の素養が安中藩の教育によって形作られたことも分かりましたし、同志社マークをデザインした人物も安中の人だったことも判明しました。
その意味で旅の目的も果たされ、自分にとっては楽しいだけでなく貴重な経験になりました。
目的②の「どうやって米国に渡ったか」についてはまだおぼろげなままなので、次に函館巡りの旅が企画されるのをじっくり待ちたいと思います。

5. エピローグ
今回の旅の中で強烈に印象に残ったのが湯浅治郎でしたが、少し調べてみると彼のお墓が私の住む府中市の多磨霊園にあることが分かりました。
歩いていける距離なので近々訪ねてみたいと思っています。

1979年度卒 永田伊知郎

 

 

2025年 宮井ゼミOB・OG会開催報告

2025年11月9日(日)、同志社大学良心館4階412号室にて宮井ゼミOB・OG会を開催いたしました。 
当日は午後2時30分より総会を行い、OB・OG会の活動報告ならびに今後の活動予定や運営方針について意見交換を行いました。

総会終了後の午後5時からは、京都・貴船の「ひろ文」にて懇親会を開催し、12名の皆様にご参加いただきました。
和やかな雰囲気の中で親睦を深めるとともに、秋の紅葉を楽しみながら貴船を散策し、名物の牡丹鍋を囲んでゼミ時代の思い出や近況について語り合う有意義なひと時となりました。
ご多忙の中、ご参加いただきました皆様に心より御礼申し上げます。
今後とも宮井ゼミOB・OG会の活動にご理解とご協力を賜わりますようよろしくお願い申し上げます。

  

 

2024年 宮井ゼミOB・OG会開催報告

2024年11月10日(日)、宮井ゼミOB・OG会を開催いたしました。

 

当日は同志社大学良心館4階413教室において、午後2時30分より総会を開催し、これまでの宮井ゼミOB・OG会の活動状況につきまして、スライドを用いながらご報告申し上げました。
ご出席いただいた皆様には、活動の歩みや今後の展望についてご理解を深めていただく機会となりました。

 

総会終了後、午後5時30分より「御池酔心」において懇親会を開催いたしました。
懇親会には宮井先生の姪御さんである野崎さんを含め21名のOB・OGの皆様にご参加いただき、世代を超えた交流と親睦を深める有意義なひと時となりました。
ゼミ在籍時の思い出話に花が咲くとともに、近況報告や今後の活動に関する意見交換も活発に行われ、和やかな雰囲気の中で旧交を温めることが出来ました。

 

さらに懇親会終了後にホテルモントレーのラウンジに場所を移し、二次会を開催いたしました。
引き続き多くの皆様にご参加いただき、交流の輪を一層広げる機会となりました。
ご多忙の中、ご参加いただきました皆様には心より御礼申し上げます。

今後とも宮井ゼミOB・OG会の活動にご理解とご支援を賜わりますようよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

奈良散策報告

2024年5月19日~20日奈良散策の旅
ゴールデンウィークが過ぎ、混雑もない初夏の橿原・明日香を、宮井ゼミの同窓の方々で、散策してきました。
雨も若干降ってはきましたが、若葉にしたたり、鮮やかな緑が眼に優しいひとときでした。

近鉄飛鳥駅で待ち合わせして、そぞろ歩いて、「高松塚古墳」に行きました。
ちょうど年に2度ほどしか公開されることのない「国宝高松塚古墳壁画修理作業室」に入ることができ、あの飛鳥美人の壁画を見学しました。
続いて「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」に行きました。
ここも素晴らしい施設で天文図の再現や修復の様子などの展示を見学した後、玄武、白虎、青龍、朱雀の四神の内、今回は「白虎と青龍」を見学いたしました。
高松塚古墳もキトラ古墳のどちらも事前応募という狭き門を通過し、1300年前の本物を目の当たりにすることができて、感激しました。

そして、次には明日香村の中心的な存在であります「石舞台古墳」。
これも蘇我馬子の墓ではないかと言われていて、その巨大さに、当時の蘇我氏の大きな権力を垣間見ることができました。
ちょうどお昼時でしたので石舞台古墳を間近に見渡せる地元のレストランで大和の食材を取り入れたランチを各々いただき、飛鳥寺に行きました。


本尊である飛鳥大仏は、1400年間、ずっとこの地におられるといわれていて、その伽藍の配置が大陸的で、おおぶりな感じが京都のお寺とは違った趣が感じられました。
その後、三々五々、今夜のお宿「ゲストハウスはじまり」に向かいました。
このゲストハウスは、私の息子が2019年10月より運営しているゲストハウスで、普段は国籍、年齢、境遇や価値観の違う方々が交流できる宿ですが、今回は一棟貸し切りとして利用しました。
飛鳥散策組、その他、東京から、大阪からとメンバーが夜に集い、散策の打ち上げと、ともに交流を深めました。
以下に息子の感想文を添えておきます。
 法律学科 1980年 山本恵子

 私も同志社の政治学科卒で、同窓ということもあって、会に参加させていただきました。
コロナ禍を経て久々に集まられた会では、皆様の近況報告や最近の出来事、そして大学時代の思い出話に花を咲かせながらお酒をすすめ、楽しい会となったようでした。
そのあとも、一棟貸し切りでかつ、後は寝るだけという安心感もおありだったようで、大広間からダイニングスペースに場所を変えて、再びの盛り上がりとなりました。
学生時代に戻ったように無邪気に飲み、少々羽目を外しながらも楽しそうに笑っておられる皆様を拝見し、大学時代に培った絆の深さと尊さを感じました。
改めまして、この度は、当館をご利用いただきありがとうございました。
いつまでも友情を大切に、そして無理のないよう、お体の方ご自愛ください。
 政治学科2011年卒 山本麻人

P.S.山本麻人さんの経営する「ゲストハウスはじまり」のHPです
https://guesthouse-hajimari.jp/

 

 

 

宮井ゼミOB・OG会 一年間の活動報告

②2023年12月2日 京都御所参観&寒梅館Willでの懇親会

宮井ゼミOB・OG会としては、2019年11月17日に若王子同志社墓地への墓参以来、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により暫く開催が出来ない状況が続いておりましたが、漸く落ち着いてきたことから、昨年12月2日に4年振りに開催いたしました。

内容としては、京都御苑(御所)の拝観と寒梅館のフレンチレストラン「Will」での懇親会でした。
京都御苑は学生時代に親しんだ思い出の地ではありますが、敷地内にある御所の拝観については、当時は春・秋の2回、期間限定で、しかも事前の予約が必要でした。
2016年の夏より通常公開に切り替わり、予約も不要となり、いつでも無料での拝観が可能となりました。
学生時代には手続き的な煩雑さや期間が限られていたことから、御所の拝観を経験されていない方が意外と多いのではないかと思い、幹事として企画した次第です。
当日は、ガイドさんのご案内で、御所内を約1時間散策しました。

御所の拝観を終えてからは場所を懐かしい今出川キャンパスに隣接した寒梅館のフレンチレストラン「Will」に移し、いつものように遠く新宮から宮井先生の姪御さんである野崎はるみ様をお招きして、25名の参加者を得て、懇親会を行いました。

49年卒で代表幹事である小林完寿さんの開会のご挨拶並びに乾杯の音頭で会の幕が開き、ゲストの野崎様からご挨拶を頂戴し、参加者からは近況等のスピーチがあり、和やかに楽しいひと時を過ごしました。
会の締めとして参加者全員で声高らかにカレッジソングを斉唱し、再会を約しお開きとなりました。
                                             以上

宮井ゼミOB有志による新島襄・同志社所縁の地を旅するシリーズNo.1「肥後・熊本探訪の旅」

角田正衛(昭和53年卒)

宮井ゼミOB・OG有志10名で熊本県内の同志社所縁の地を巡った。
2023年10月1日~2日(一泊二日)。
案内役を務めてくださった地元熊本県在住の村富俊大さん(昭和52年卒)の奥様にも参加していただいた。

一日目は集合場所の熊本駅前のホテルを12時30分に出発。先ずは熊本市内花岡山にある「奉教の碑」に向かった。

明治9年1月30日、熊本洋学校の教師ジェーンズの教えを受けた海老名弾正(後の同志社第8代総長)ら35名の生徒がこの花岡山でキリスト教による救国を志した趣意書に署名し、結盟した。世に言う熊本バンドの誕生である。
熊本洋学校はこの事件により閉校の憂き目に遭い、残された生徒達は創立間もない京都の同志社英学校に転校することになった。

花岡山を後にして向かった先は「徳富記念園」。
ここでは杉谷館長から詳しい説明を受ける機会に恵まれた。
徳富蘇峰は熊本洋学校閉鎖後、官立の東京英語学校(第一高等学校の前身)に入学も2か月程で退学し、京都の同志社英学校に転入学した。
学生騒動に巻き込まれ、卒業目前で中退した蘇峰は、その後帰郷し、明治15年3月、父・一敬と共に大江村の自宅に私塾「大江義塾」を創設した。時に蘇峰19歳の春であった。
明治19年の閉塾まで英学、歴史、政治学、経済学などの講義を通じて青年の啓蒙に努めた。大江義塾に学んだ塾生は、250名にも上ったと言われている。

園内には当時の大江義塾の建物がそのままの形で保存されており、記念館には徳富兄弟関係の遺品や著書などが多数展示されていた。
また、記念園の庭にそびえるカタルパの木は新島襄がアメリカ土産に贈った種子の2世・3世であり、毎年5月中旬には上品な真白い花が咲くという。

次は熊本市街からは少し離れた益城町杉堂の潮井自然公園内にある「四賢婦人記念館」を目指し、曲がりくねった山道を辿った。
四賢婦人記念館は江戸時代後期にこの地に建てられた惣庄屋・矢島家の家屋を復元したものである。
こちらも2016年4月の熊本地震で被災し、修復費用を確保するために広く寄付金を募り、矢島家として元々あった現在地に移転新築されたものである。
葉が秋の色に染まりかけたカタルパの木がここでも静かに私達を迎えてくれた。

四賢婦人とは、徳富蘇峰の母、徳富久子の実家である矢島家の4姉妹のことである。
蘇峰も矢島家で生まれている。
三女の竹崎順子は、明治22年熊本女学校(現熊本フェイス学院高等学校)の舎監となり、明治30年には校長に就任し、多くの人材を世に送り出した。明治38年、81歳の終焉まで校長としてその責務を全うし現在でも校母として尊敬されている。

四女の徳富久子は、横井小楠の高弟で肥後藩政改革の中心人物、徳富一敬の妻となり、徳富蘇峰・蘆花の母として厳格な家庭教育を実践。蘇峰をして「自分が一人前になり、強い信念が持てたのも母の厳しさのおかげ」と言わしめた。

五女の横井つせ子は幕末の思想家横井小楠に嫁ぎ、「夫は天下人である。妻たる自分も出来るだけ学問をして夫の名を辱めることがないように」と励んだ。

六女の楫子は、明治19年に日本基督教婦人矯風会を設立し、初代会頭に就任。元老院への一夫一婦制の建白書提出をはじめとして、婦人参政権・廃娼・禁酒運動等に尽力した。明治23年にはキリスト教系女学院(現東京・女子学院)を創立。初代校長になった。大正10年には88歳でワシントン平和会議への出席を果たし、その功績を讃えられ、米国大統領より記念の花器を贈られた。

館内には矢島家に纏わる品々が所狭しと展示されており、地元のボランティアガイドよる解説に一同耳を傾けた。

一日目の最後の訪問先は肥後藩熊本洋学校の教師館であった「ジェーンズ邸」。
ジェーンズ邸は西南の役においては政府軍本営として使用され、佐賀の七賢人の一人に数えられ、後に枢密顧問官、元老院議長となる佐野常民が征討大総督有栖川宮熾仁親王から博愛社(後の日本赤十字社の前身)の設立許可を受けたことから、日本赤十字発祥の地としても知られている。

ジェーンズ邸は熊本の西洋建築としては最古で、県の重要文化財に指定されていたが、2016年4月の熊本地震で全壊した。熊本市を中心として再建事業がスタート。
同志社大学、同志社校友会熊本県支部も積極的に支援に乗り出し、2023年9月に再建に漕ぎつけたが、以前の姿を知る者にとっては物足りなさを感じているのではないだろうか。
私自身もその一人である。

同志社校友会熊本県支部ではジェーンズ邸再建を記念してオリジナルTシャツ(1枚1,500円)を作成・販売し、その収益金を同志社大学2025募金に寄付することとなった。
宮井ゼミとしても賛意を表し、昨年のOB・OG会、また、今回の熊本旅行を通じて多くのOB・OGの皆さんに協力していただいた。
Tシャツ販売協力にあたっての宮井ゼミ窓口担当者として、この場をお借りして厚く御礼申し上げる次第である。

ジェーンズ邸見学を終えてからは、村富俊大さんご推奨の熊本料理店「仲むら」で夕食の会となった。
とっておきの熊本料理に一同舌鼓を打ちつつ、お互いの近況報告等を語り合い、和気あいあいの楽しいひと時を過ごした。

翌日は朝食後、秋晴れの空の下、名城「熊本城」の見学に出掛けた。
天守閣は2021年に復旧が終了したものの引き続き櫓群の解体復旧・修復工事を行っている最中で、完全復旧にはまだまだ多くの時間を要する見込みとのことである。
参加者一同、復興作業が順調に進み、一日も早く工事が完了することを願い、今回の旅を終えることにした。

今回の旅行は熊本県在住の宮井ゼミOB村富俊大さんご夫妻の入念な下調べがあってこその楽しく有意義な旅であった。お二人には感謝の念に堪えない。
また、同志社校友会の理事で元熊本県支部長の木下智夫先輩(昭和44年商学部卒)にもホテルの手配等、格別のご配慮をいただいた。この場をお借りして謝意を表したい。

熊本城で解散後、松田能明さん(昭和54年卒)と二人でタクシーを飛ばして熊本市郊外の横井小楠記念館「四時軒」に行ってみたが、生憎の定休日で閉まっていた。調査不足が招いた失敗談である。

熊本旅行の少し前、9月11日には徳富蘇峰91歳時の遺髪や手紙が所有者の阪大名誉教授から同志社大に寄贈されたとの報道もあった。
私個人は一足先に前日の9月30日に九州入りしており、集合時間前の午前中の時間を利用して、徳富蘇峰・蘆花兄弟の生家がある水俣市にも足を延ばした。
しかしながらお目当ての生家も、また、水俣市立蘇峰記念館も修復工事中で、中に入ることは叶わなかった。
今春、共に工事が完了し2024年の5月3日からは再開館したとのことなので、改めて水俣に足を運んでみたい。
                                                 以上