同志社大学政法会 updated 2018-11-15

吉田 善之(昭和31年卒業)さんからのご投稿

【雑感】

31クラブ 吉田善之

数か月前、京都に行くため京阪電車に乗った時の話である。
普通列車で座って行こうとプラットホウムで待っていたところ、先に急行列車が入ってきた。見過ごすつもりだったが衝動的にその急行に乗ってしまった。後ろから押されて、やや後方の座席の前に立ったのだが、そこには若いお母さんと二、三歳の女の子が座っていた。私を見るや若いお母さんは、どうぞといって席を立たれたので、私は、いえいえ大丈夫ですから、お嬢さんと一緒に座ってあげてください、と固辞した。不安そうに母の顔を見る娘にお母さんは凛とした声で、この子は大丈夫です、といわれ強く私に席を勧められた。結局私はご厚意に甘えたが、座りながらこのお母さんはきっとこの子のために教育(躾)をしているのだな、と感じた。
日本は大丈夫。まだまだ捨てたものではないよ、と心の中で万歳!と叫んでいた。

私の本棚には一冊のモルモン教経典がある。正式には、末日聖徒イエスキリスト教会の経典である。四十年前、名古屋である若い宣教師からいただいた。
ある日の営業開始九時を過ぎて間もない頃、二人の外国人が店頭に見え、私との面会を希望されていると受付の女子より連絡があった。応接間に案内するように指示をしたが、突然のことで用件はなんだろう、何か思い当たることはないかと思案しながら応接間に向かった。
彼らはたどたどしい日本語で、我々はアメリカから来た宣教師で、布教のためにこの名古屋を歩いている、と話しだした。一人は一年前、もう一人は半年前に来日したばかりの初々しい二十代前半の男性であった。名刺には、「長老何某」と書いてあったが、名前は覚えていない。確かユタ州の出身であったと記憶している。
営業時間の午前九時過ぎはとても貴重な時間で、これから消化しなければならない仕事のことで頭がいっぱいであったが、なにか心にひっかかるものがあり、一見の客としては見過ごせなかった。自宅(社宅)の簡単な地図を描き、もしよければ夜八時過ぎに話の続きを聞きたい、と言ってその時は引き取ってもらった。
二人は時間通りに来宅した。
お茶は?いらないという。ではコーヒーは?いらないという。ビールか?それもいらないという。お水でよいという。変わったアメリカ人と家内がつぶやいた。私は親子ほど年齢の違う二人に、錆びついた英語と日本語で私の略歴や日本がアメリカと戦争に至った背景などを説明した。全然解ってくれなかったと思う。二人は戦後の生まれであり、あまり戦争のことには関心がなかったようだ。それよりも、
 貴方は何のために生きていますか?
 真の幸福とはなんだと思いますか?等
質問攻めで、モルモン教の教義をたどたどしく説明し、ともにイエス・キリストを信じて正しい生活をしてください、といった内容であったと記憶している。おそらく日本語で何回も練習したことをしゃべってくれたのだと推察している。
しかしその態度は爽やかで誠意あふれ、正直でとても好感が持てた。聞けば本国の教会からは、生活するのにかつかつの送金しかないという。食事も節約し、電車は使用しないで自転車を使っているとのことであった。話を聞くにつれ、これは彼らの教会の強制的な義務ではないかとか、親御さんはさぞ心配だろうなとか、地球の反対側まできて信仰を勧めるのは何故なのかとか、いろいろ疑問がわいたが、とにかく無事に教会の任務を終えて帰国して欲しいという思いが強くなり、明日の夕方に二人が日本に来た歓迎会をやるから、とその日は帰っていただいた。
翌日の夕方、家族と一緒にすき焼きをした。お肉と野菜はわかってもらえたが、醤油味はまだ珍しいようであった。
トーフは、これなんですか? メイド フロム ビーンズ(大豆のつもり)
コンニャクは、これなんですか? メイド フロム ポテト(蒟蒻芋のつもり)等
笑いこけそうな会話の中で、とても喜んで食べてくれた。
二、三日後、彼らはお返しにといって手製のバナナケーキを持ってきてくれた。とても気持ちがこもったプレゼントだった。
何回か訪問を受けた後、私に転勤命令があり、彼らにお別れをいう間もなく任地に赴いた。彼らの役に立つことができなかったことを、今でも残念に思えてならない。その後も何回か転勤をする度にこの経典を整理しようと思い手に取るのだが、彼らの神を信ずる道徳的清らかさが頭に蘇り、どうしても整理できなかった。彼らももう六十二、三歳であるだろうか。異国日本での苦労が、彼らの人格形成に大いに役に立ってくれたのではないかと思う。

ワイルド・ローヴァー号の船主アルフェス・ハーディ氏が妻とともに、日本から来た新島青年に面接した時、きっと私の経験したような、無視できないなにかしら心惹かれる感情をこの新島青年に持ったのではないかと推察している。ハーディ氏は熱心なクリスチャンであると同時に商人であったから、無駄な投資はしたくなかっただろう。さっぱり通じない英語を話す青年に対して惹かれるものを感じていたから、ダメ押しのようなレポートを提出させることで、ひたむきにアメリカで学びたいという熱意をハーディ夫妻が知ることになった。夫妻は、はるばる日本からやってきた原石をダイヤモンドに磨きあげて帰国させ、キリスト教を布教させれば主のみ心にかなうと思ったに違いない。
新島青年は、安中藩の藩校で十三歳まで漢学を勉強していた。藩によっては教育の方針や方法に違いはあるが、概ね幕藩体制を維持する朱子学を中心とした儒教教育を基本としていた。
学齢七~八歳のころから初等では、孝経の素読、皇朝史略、十八史略の解釈、四書の講義を、九~十歳の中等では四書の素読、小学の解釈、五経の講義を、高等では頼山陽の日本政記、その他の解釈、三礼(週礼、儀礼、礼記)等の講義を受け、人間として若いうちに身に付けておくべき常識、礼儀作法等を学んだ。例えば、膳や椀の置き方やお辞儀の仕方、風呂の進め方、扇子使い方、切腹の仕方等、士分としての作法を身につけさせた。
新島青年がどこまで習得されたかはさやかではないが、武士としての素養は身につけられていたと思う。当時は押し寄せてくる欧米列強の力もあり、十四歳以降は藩命によって蘭学をも学ばれていた。昔は十五歳で元服したので、武士道の基礎は充分学ばれたのではないか。

先日、同志社大学政法会設立二十周年記念に佐藤幸夫先生が書かれた「新島先生に後事を託された人々」の中に新島青年が父民治宛てに出したアメリカからの手紙の紹介があった。この手紙を見ても胸が熱くなり涙がこぼれそうな感動を覚える。君(国家)に忠、親に孝、周りの人々に対して思いやる仁等、自らを制することの厳しい武士道を身につけた者にのみ書ける文章であった。この新島青年をハーディ夫妻はアメリカで学ばせることに値する若者だと認めたのだろう。その後、生涯親子のような縁を結んでいくことになるのだが、この出会いは単なる偶然とはいえ、当然と言えば当然の帰着であった。
アンドーバーでの学校生活、教会生活はとても新島青年の清廉潔白な生活に合っており、その上に道徳的清らかさを身につけられた。そしてアメリカのプロテスタンイズムのキリスト教が最高だと強調されている。人民の平等、他国を侵略しない等は、今まで日本での侍生活の中で疑問に思われていたことが、アメリカに来て納得されたのではないかと思う。中でも徳育事項では、今まで身につけた徳性よりもキリスト教がさらに倫理性が高いと感じられ、そこへ立ち位置を変えられたのであろう。そして洗礼を受ける決心をされ、神学校付属の教会でハーディ夫妻立会いのもと洗礼を授けられた。
新島先生は幾多の困難を乗り越えられて日本に明治八年に帰国され、キリスト教の布教と学校設立に専念された。明治元年には長崎の浦上で四千人のキリシタンが発見され、処刑されている。諸外国の抗議で明治政府がキリシタン禁制の高札を撤去したのは明治六年のことだから、当時いかにキリスト教の布教が困難であったかが想像される。しかし、新島先生をはじめ門下生や、札幌農学校の教頭として在校したクラーク先生に影響を受けた札幌バンドの内村鑑三氏、新渡戸稲造氏など多才なキリスト教信者の排出により今日のような多数の信者数になったと思う。
一方、幕府崩壊で守るべき教義や組織を失った武士道は衰退し、桜の花のように散りゆく運命にあるのだろうか。いやいや、その影響は今も深く根づいていると思う。それは無言の感化である。祖父母、父母から受けた観念的な価値観、山の神様、森の神様、海の神様、浄土への憧れ等大和民族の自然への調和、先人たちへの礼儀等過去数百年にわたって慣れ親しんだ思考の慣習を一度に捨て去ることはできない。
第二次世界大戦後、日本は民主主義を選択させられ個人主義が尊重されるようになった。全体のために個を犠牲にする時代ではなくなったことは、武士道の大義に疑問符がついた。これから無言の感化にも変化が見られていくことに違いはないが、しかし大和民族は異文化に接しても、決してそのまま鵜呑みにすることはない。宗教もまた必ず自分のものに作り変えるのが上手である。新島先生が持ち帰られたピュリタンなキリスト教は、時代と共に、また大和民族の固有の文化と融合していくのではないかと思っている。
酒もタバコも禁止されたピュリズムな新島先生。先生の前に立つと身がすくんで、これは謹慎か退学処分であったかとおもう私であるが、それでも日本のイエス・キリストはお前のそばに居てやるよ、と言ってくださる気がするのである。
冒頭の若いお母さんは武士道の流れをくむ無言の感化による躾か、あるいはキリスト教による徳育かはわからない。

参考にした書籍
 武士道    新渡戸稲造著 奈良本辰也訳
 新島襄    和田洋一著
 全国藩校紀行 中村彰彦著