同志社大学政法会 updated 2018-11-15

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澤 貴(昭和62年卒業)さんからのご投稿

「仮説の同志社大学文系入試」

澤 貴(昭和62年卒)

1.はじめに
五年前に同志社大学の大先輩で昭和三八年に文学部を卒業された保坂正康氏が毎日新聞社から「仮説の昭和史」という本を出されました。
 歴史物の本が好きな私は、早速購入して毎日少しずつ読んでいきましたところ、内容が大変濃く一読に値する本であることを確信いたしました。
 同志社の卒業生および在学生には是非とも読んでいただきたい一冊です。
 そこで、昭和五十年代の同志社大学の文系の入学試験において「もし」という仮説を持ち込んで考えて見ていきたいと思います。

2.もし入試の選択科目に「地理」と「倫理社会」と「政治経済」があったら
 昭和五十年代に一般入試に合格して同志社大学に入学された方の中には、なぜ選択科目が「世界史」と「日本史」と「数学Ⅰ」の三科目だけで、「地理」と「倫理社会」と「政治経済」がないのだろうか、と思われた方もおられたのではないでしょうか。もし社会の残り三科目も選択科目にあったなら受験生の数ももっと増えていたのではないでしょうか。
 商学部の入試科目は「数学Ⅰ」が必須で「世界史」と「日本史」が選択科目でした。数学の配点は五百五十点満点の中の五十点であったため、数学が零点であっても合格された方も多くおられたようです。

3.もし試験会場に「仙台」「金沢」会場があったら
 昭和五十年代の同志社大学の地方入学試験会場は今よりもずっと少なく、「札幌」「東京」「高松」「福岡」の四会場のみでした。試験日は一日のみのため、各試験場では一学部しか受験できません。
 そのため、何が何でも同志社大学に入りたいという熱意をもった受験生は、複数の学部を併願するために京都の今出川キャンパスで受験せざるを得ませんでした。
 昭和時代に東北地方出身の学生は「東京」で一学部しか受験しなかったという人が多かったのではないでしょうか。
 在学中に気づいたことは、同志社大学に北陸三県出身の学生が意外に少ないことでした。昭和五十年代に立命館大学は、入試の試験会場に「金沢」会場を設けていました。「仙台」「金沢」にも試験会場を設置していたら東北六県、北陸三県からの入学者はもう少し多かったかもしれません。

4.もし入試に英語の配点割合が五十パーセントだったら
 昭和五十年代の同志社大学の神学部、文学部、法学部、経済学部の入試の配点は五百満点のうち、英語二百点、国語百五十点、社会または数学百五十点でしたが、英語の配点割合が四十パーセントでした。
 もしも関西学院大学文系入試のように英語の配点割合が五十パーセントだったなら、英語に強い学生がもっと多く入学したかもしれないと思われます。
 同志社大学の一般教養科目の英語は、決して採点は甘くなく再履修を余儀なくされた方も結構いらっしゃったのではないでしょうか。

5.もし補欠合格制度を導入していたら
 昭和五十年代に一部の私立大学では補欠合格制度を実施していましたが、同志社大学は実施していませんでした。合格点を何点にするかは教授会にとって難しい判断だと思われます。

6.おわりに
 最近は学部の数も定員も格段に増えて三十年以上前と比較すると合格しやすくなっていると思われます。全国津々浦々の地域から多くの優秀な受験生に同志社大学を受験していただきたいと思っています。また地元の青森県からの今年度の入学生は五名だったようですが、これからは「仙台」で受験ができますし、複数の学部を検討されている場合は「東京」でどんどん受験していただきたいと思います。
 また同志社大学を強く希望する人は推薦入試を受験していただきたいと考えております。
 私の先輩で関関同立の法学部をすべて受験してされた方がおられますが、合格されたのは同志社大学のみでした。試験問題の当たりはずれというのはいつもあるようです。
 昭和五十年代の同志社大学の入試は今よりもはるかに激戦で、同級生の三人に二人は浪人して入学していました。周囲にも二浪という人もかなりいましたし、最初の下宿で隣の部屋だった先輩は三浪されたそうです。
 最後に入学試験を受験しやすくするために検定料をもう少し下げていただきたいと思います。
 完全無欠の入学試験を実施することは、極めて困難な課題だと思われますが、受験生の正しい努力が報われる試験を実施していただきたいと思います。
 極めて生意気な意見を書いたことを深くお詫びいたします。