同志社大学政法会 updated 2018-11-15

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吉田 善之(昭和31年卒業)さんからのご投稿

「金融の大津波」

吉田 善之(昭和31年卒業)

 大都市大阪の近郷に河内銀行という地方銀行があった。いつも通う近鉄線の窓から見かける看板であったが、近々住友銀行と合併するらしいという話を聞いた。間もなくその看板が住友銀行に一斉に変更された。

 そして一年後、河内銀行の21店舗のうち、生き残った営業支店長はたった一人だけという噂を聞いた。まだ金融機関に務めて間もない私には、合併の内容は分からなかったが、これはすごいと思った。合併吸収という大津波が一度に覆いかぶさり、波が引いた時にはただ一人だけ生き残っていたという情景が頭に残ったことを覚えている。

 金融機関の歴史は、吸収合併の歴史と言っても過言ではないだろう。これを陰から圧力をかけて指導し、支えたのは大蔵省(今の金融庁)である。金融機関はこの大蔵省にMOF担と呼ばれるエリート行員を派遣し、動向を探った。それは経済情勢のみならず、政権の方針によっては自社の経営に大きく影響を与えるからである。

 二年に一度、または三年に一度の割合で、ある日突然この大蔵省金融検査官が銀行支店にやって来る。組織体制、内規、経営方針や計画の実施状況、法令順守などガバナンスが行き届いているか確認をし、四~五店舗臨店の後本店に集結する。

 しかし何といっても最大のヤマ場は債権査定である。主任検査官を除いた検査官に一対一で各支店長が自店の債権について説明をする。ここでは、Ⅰ正常債権、Ⅱやや疑問がある、Ⅲ回収に問題がある、Ⅳ回収不可能と四つのランクに分類される。この債権査定は、場合によっては貸し倒れ、引当金の積増しならびに取引先のこれからの融資にも影響するので、受ける銀行側も優秀な審査役をたて、できるだけ多くを正常債権に持っていけるよう支店長をフォローするのである。特にメインの融資先が不良債権ともなれば、支店長として査定に食い下がる。その企業には何十人何百人の従業員の生活が懸かっているからである。

 しかし、全国の各銀行を臨店している検察官の査定を覆すことはなかなか難しく、貸出債権に見合う十分な担保力があるかどうかの見極めは正確であった。最後は、銀行全体でどこかに折り合いをつけて、なるべく影響の少ない形で査定が終わり、検査官にお土産の入った紙袋を持って帰ってもらったと推定している。以上は、護送船団(足の遅い船に合わせる)当時の大蔵省検査状況であった。

 大蔵省の護送船団のもう一つの狙いは、異業種の参入を認めなかったことである。銀行と証券会社、保険会社など、互いの壁を厚くして参入を認めなかったので、その結果激しい競争が起こることなく金融機関は安定し、産業界の黒子として経済の発展に寄与し続けてきたのである。

 1985年に発表された「プラザ合意」で円高が誘導されて以来、内需を活性化するため大幅な金融緩和が行われた。企業も個人も多額のお金を銀行から借りて株や土地を買った。私の友人は3,600万円のローンを組んで奈良県某ゴルフ場の会員権を買い、しばらくして8,000万円で売り抜けて、その利益で4,000万円の三重県某ゴルフ場の会員権を買った。夢のような話であるが事実である。私にはそんな度胸はなく、退職金で会員権を買った。

 実体のない経済はおかしいと思いながらも、企業も個人も利益を求めてバブル経済へ突入していったが、株も不動産も上がる続けることはなく、1989年、冷戦の終結とともに、地価、株価ともに急激に下がり始めた。そこから日本経済は悪循環に落ち込み、長く失われた二十年と呼ばれる低迷期間となった。

 金融証券業界では、山一證券や日本長期信用銀行(現新生銀行)、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の破綻という未曽有の金融危機にさらされ、多くの中小企業が倒産し、サラリーマンの多くが職を失った。自宅を失くし、家庭を破壊された人々は公園や路地にさまよい、その姿はまるで地獄のような有様であった。

この大津波は日本全国を駆け巡り、経済を元に戻すまで相当に月日を要したのである。

 二〇〇八年九月、まだ充分に戻っていない日本経済にさらなる追い打ちをかけたのがアメリカ発のリーマン・ショックである。超大手の金融機関であったリーマン・ブラザーズが約64兆円もの負債を抱えて倒産した。当時サブプライムローンと呼ばれた低所得者層のためのローンが延滞し回収できなくなったためである。このローンの特徴は、ローンで借りたお金で住宅を購入し、その住宅を担保とするもので、最初は金利が安くだんだんと高くなるハイリスク・ハイリターンとなっていた。

 当時のアメリカは不動産バブルであり、住宅価格は下落しないという前提であったが、バブルがはじけた後は、担保の住宅を売ってもローンの残高は残ったのである。このローンをリーマン・ブラザーズは証券化し、金融商品として世界中の投資家や金融機関に販売していたので、金融界は大打撃をこうむった。それが世界同時株安につながり、為替相場は一ドル七六円と超円高になり、日本の輸出産業も大打撃をこうむった。このような円高では、海外で生産販売した方が値も下がらず、業績も日本より良いため、大手企業はこぞって海外に拠点を置くようになっていった。その結果、子会社や孫会社は親会社についていけなくなり業務の縮小や倒産が相次いだのである。そして失業率の上昇にもつながり、法人税が減少して財源も失うことにもなった。

この大津波は金融機関を根本から変えた。金融機関の信用力は、これまで頑健なものと信じられてきたが、そうではないと認識されるようになった。金融機関の店頭デリバティブ取引についても、さまざまな規制がかかり、これまでの優位性は一挙に失われ、大手の資産運用会社やヘッジファンドの参入をゆるし、銀行の牙城も少しずつ揺らいでいたのである。リーマン・ショックは、金融業界はもちろんのこと、個人投資家、中小企業、学校法人、地方自治体、宗教法人などに深い傷跡をのこした。

これからの社会やビジネスに最大級の大津波が予想される技術革新がある。それは人工知能である。

二十一世紀に入って、人工知能は急速に発展し、今や機械が自分自身で学習するところまでに至っている。この人工知能の進歩により、一番大きく影響を受けるのは経済界のなかでも金融業界と思われる。なぜなら金融市場の情報は、基本的にコンピューターにとってとても扱いやすいからである。

産業革命以来、テクノロジーの進歩によって職種構成が大きく変化し、かつての農夫や職人が工場労働者、事務員、サービスマンに変わったように、金融業界も人工知能やビック・データの利用で二十世紀とは全く違ったタイプの職種シフトが起こると考えられる。

今日の株式や為替・債権・店頭デリバティブなどの市場は、超高速ロボ・トレーダーが導入され、大きなシェアを占めるようになっており、人間のブローカー時代は終わり、全面的に電子取引の時代に移行しているのである。銀行の多くの仕事も今後はロボット化されるかと思われる。銀行の本業である企業リスクの判断は、財務情報が最重要の材料ではあることに違いはないが、さらに業界事情やマクロ経済その他の指標まで取り込んで、ビック・データや人工知能に判断されることになるだろう。もちろん、経営者の人柄や仕事の取組み姿勢なども付記されることだろう。

一方、個人の信用リスクについては、銀行口座の動きや住宅ローンの返済状況、クレジットの利用履歴、住居している地域や職業などをリアルタイムでモニターすることが可能になる。

銀行窓口のテイラー係、融資係、クレジット・アナリストなどはソフトバンクのペッパー君やホンダのアシモ君が全てさばいてくれる仕事になる。また営業店もウェブやモバイルを使い口座開設、金融商品購入、資金移動などのダイレクトサービスによって多くの実店舗が必要なくなり閉鎖、もしくは商店街の一角で親しみやすい店舗で残っていると思う。

実際、アメリカ、イギリスなどの大手銀行は相次いで店舗閉鎖縮小を行っており、これからの金融の仕事は、仕組みも人も大きく変わることに間違いない。もうゼネラリストや天下りがトップを占める時代は終わりになった。資産運用や金融商品のアドバイス、信用リスクの評価など多くの事務的な仕事はロボットが代替することは、近い将来必ずやってくる。その時人間に残された仕事は、ロボットを補完する仕事が、あるいはロボットにできないサービスを提供することである。

例えば、デリケイトで人間的な感性の中でローンを組む話とか、金融商品を購入してもらうとか、口座の開設の話を進めるなどである。中にはどうしても人間との対話でなければ話が進まないこともあるだろう。

これからの金融機関は企業の財務基盤や収益性だけを直視するのではなく、社会的意義のある企業や、環境を優しくする企業、地域を発展させる企業など、地域行政、商工会議所、業界団体、NPOなどと情報を交換しならが、銀行が自らリスクをとって与信を与えることが大切である。そしてこれまで十分なサービスやサポートを得られなかった地域の低所得者や財務基盤の弱い中小企業にも積極的にコミットし、その資金の活路を見つけ出すべきだと考える。進化する社会の中で企業と従業員を守り、地域社会の安定と発展に寄与していくことこそ、金融機関がこの人工知能という大津波に生き残っていく手段ではないだろうか。
参考書籍 人工知能が金融を支配する日 桜井豊著