同志社大学政法会 updated 2018-04-03

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米谷才重郎(昭和31年卒業)さんからのご投稿

「若冲と同志社」

米谷 才重郎(昭和31年卒)

 第23回政法会総会で第153回直木賞候補作「若冲」の作者、澤田瞳子氏(同志社大学文学部卒・同大学院博士課程前期修了)の『伊藤若冲と十八世紀の京都』の講演があり、興味深く拝聴しました。その席で澤田氏に、伏見の海宝寺のお話をしたところ、ぜひ訪ねたいとの言葉をいただきました。
 昨年の12月28日の京都新聞に、1ページカラーで「海宝寺『筆投げの間』歴史小説家の葉室麟さんとともに、晩年の気配を求めて」とした記事が大きく掲載されており、ご紹介の甲斐があり光栄に感じております。
 海宝寺は、31クラブ髙橋修君と京都府立桃山高校の同期生である荒木正啓氏(同志社大学経済学部卒)の実家で、大丸百貨店の創始者下村家の菩提寺でもあります。
 昨年夏、髙橋修君の案内で永井淳夫君と私の3人で海宝寺を訪ね、荒木氏から寺内の懇切な案内をいただきました。その時に若冲晩年の群鶏図障壁画のお話がありました。
 奇しくも「若冲ブームの仕掛け人」でもある前同志社大学文化情報学部教授・狩野博幸氏が九州大学を卒業され、昭和55年に京都国立博物館の研究員になられた時の最初の仕事は、京都・深草の海宝寺から購入したばかりのマクリ状態(※)の障壁画を原状に戻すことであったとされます。
 この障壁画は、天明の大火で罹災後、若冲七十五才の時に制作された大阪・豊中市の西福寺の仙人掌群鶏図襖絵と同時期に制作され、著色画と墨画との違いはありますが、鶏の姿に寸分異ならないものがあり、今日でも有名であります。
 若冲は数え年八十五才(自称八十七才)でその生涯を終え、遺骸は深草の石峰寺に埋葬されましたが、同志社大学に隣接する相国寺にも若冲とゆかりが深いことからお墓があります。

※マクリ状態=表装をせず紙の状態のままであること(事務局注)